2007年 07月 25日
読書感想文 白い犬とワルツを
・・・『西の魔女が死んだ』の次に読んだのがこれ。
こちらも、ドラマか映画になっているらしいが、見ていない。
こちらは妻を失った81歳の老人と、妻の死後、彼のそばに現れ、見え隠れする白い犬の話。
白い犬が実在したのか、妻なのかどうかというようなことよりも、この老人の生き方、自分自身の人生の一歩一歩を、淡々と着実に刻んで行く姿が印象に残る一冊だった。
妻を失った老人に老いと病いがいやおう無く訪れる。
不自由な片足と、腰の痛みを押して妻と行くはずだった同窓会へ出席するために、老人は子供達に黙っておんぼろトラックで白い犬と出かけ、苦労してたどり着く。同窓会には出ず、妻との思い出の場所を巡る。
・・・最愛の妻とともに重ねてきた月日の記憶は、妻を失った痛みをも超えてよみがえる。
旅を終えた老人は、その後の人生を、自分ひとりで決め、日常を暮らし、去っていった。
読む前は、妻を失い病に斃れるまでの数年間を描いているらしいので、どうなんだろ?と思ったが、読後は妙なくらいに元気を与えられた。
老いながらも、残された力と気概で行動してゆく。
これまでの人生がそうであったように、最期まで自分で決め、判断し生き切る。
深く思いを注ぎ、また注がれた記憶は、そうした生き方への強い肯定と力になり、愛するものを喪失してもなお、人生を最期まで生き尽くすに足るものにしてくれるのではないかと思う。
その意味で、西の魔女が死んだ、と同じテーマをも持つ気がした。
私的には「白い犬とワルツを」の方が好みだ。
きっと、私もこんなふうな、周りのものには「困ったちゃん」な老人になると思う。
(子ちゃた達よごめん・・・)
でも、夫婦揃って困ったチャンな老人になりたいな。
・・・なおさらはた迷惑ですけどね。
#
by chatadon-06
| 2007-07-25 15:56
| 読書感想文
|
Comments(0)
2007年 07月 24日
読書感想文 西の魔女が死んだ
内容が正しく伝わる保障はありません。念の為。
西の魔女が死んだは
清里で撮影が進んでいる映画のタイトルだ。
原作は同名の児童文学。
あちこちの紹介記事を見ると不登校気味の少女が祖母の家で過ごしたひと月の日々の話だという。
当然、魔女の宅急便風に、少女の自立と成長物語を連想する。
早速文庫本を購入して読んでみる。
詳しくは書かないが、まあ↑そんな理解で良いような・・・。
自分の年齢からか、作中の祖母の方により強く感情移入をしてしまう。
(流石にそこまでは年寄りじゃないですけどね。)
祖母として、いとしいもの、思いをかけるものの心に寄り添い、見守り、日々の着実な生活の歩みの中で「自分」を見出し、育むすべを伝える姿に。
人は愛するもの、子や孫といったおのれが育むいとしいものを、いつまでも羽根の下に抱いているわけには行かない。やがて飛び立つ日を目指し、荒海を渡る力を持てるように打ち鍛えなければならない。
戸惑い、傷つくいとしい存在を前に、本音ではおろおろと右往左往する自分の心を抱えながらも、「強くあれ」と突き放さなければならない日がいつかは必ず来る。
いつも見守り、密かに心に寄り添い、密かに涙することはあっても、独り立ちさせようとする子へ送ってやれるのは、それまでに育んできた心と人格が、この先の生きる力となってくれるようにとの祈りと、見守る眼差しだけだ。
でも、この眼差しの深さに子がいつか気が付くとき、『己の存在が深く愛されていた記憶』は自分自身の存在への肯定と、生きる力となって人を支えてくれるのだろう。
この本で、亡くなった祖母のメッセージが主人公に届くように。
私の魂なんてものがもしこの世に残ることがあったら、おそらくは、この世に残した気がかりな者の周りをくるくる舞いながら暮らすのだろう。悲しみにや苦しみに見舞われている姿を見るとき、何も出来ない私の魂は胸をかきむしり、涙を流しながら届かぬ手を延べる。
そして、幸せな未来を確信したとき、安堵の吐息となって消滅するような気がする。
そんな感慨を持った一冊だった。
まあ、私の場合は、見方を変えれば「余計なお世話のおばば守護霊」みたいなものになるだろうけど・・・・。
何しろ、この小説の中で、イチゴつみをしてジャムを作る描写に、
『バケツ3杯分のイチゴを綺麗にごみを取って洗って、同じ3杯分の量が残るなんて・・・
そんなに歩留まりが良いはずが無い! ホントに苺を摘んでジャム作ったこと有るのか?』
などと、ツマラン事に突っ込みを入れたくなる私だからして・・
8月21日追記
読書感想文 西の魔女が死んだ・・と語句検索で来ている君達~。
参考にならなくってごめんね~。
おばさん応援してるから(何の役にもたたんケド)頑張ってね~!
あまりに更新しないでいると、ストレスがたまるので、メモしてあった読書感想文をいくつか、upします。私の場合、本を読むのは解釈ではなく快楽なので、深く読みはしないから、西の魔女が死んだは
清里で撮影が進んでいる映画のタイトルだ。
原作は同名の児童文学。
あちこちの紹介記事を見ると不登校気味の少女が祖母の家で過ごしたひと月の日々の話だという。
当然、魔女の宅急便風に、少女の自立と成長物語を連想する。
早速文庫本を購入して読んでみる。
詳しくは書かないが、まあ↑そんな理解で良いような・・・。
自分の年齢からか、作中の祖母の方により強く感情移入をしてしまう。
(流石にそこまでは年寄りじゃないですけどね。)
祖母として、いとしいもの、思いをかけるものの心に寄り添い、見守り、日々の着実な生活の歩みの中で「自分」を見出し、育むすべを伝える姿に。
人は愛するもの、子や孫といったおのれが育むいとしいものを、いつまでも羽根の下に抱いているわけには行かない。やがて飛び立つ日を目指し、荒海を渡る力を持てるように打ち鍛えなければならない。
戸惑い、傷つくいとしい存在を前に、本音ではおろおろと右往左往する自分の心を抱えながらも、「強くあれ」と突き放さなければならない日がいつかは必ず来る。
いつも見守り、密かに心に寄り添い、密かに涙することはあっても、独り立ちさせようとする子へ送ってやれるのは、それまでに育んできた心と人格が、この先の生きる力となってくれるようにとの祈りと、見守る眼差しだけだ。
でも、この眼差しの深さに子がいつか気が付くとき、『己の存在が深く愛されていた記憶』は自分自身の存在への肯定と、生きる力となって人を支えてくれるのだろう。
この本で、亡くなった祖母のメッセージが主人公に届くように。
私の魂なんてものがもしこの世に残ることがあったら、おそらくは、この世に残した気がかりな者の周りをくるくる舞いながら暮らすのだろう。悲しみにや苦しみに見舞われている姿を見るとき、何も出来ない私の魂は胸をかきむしり、涙を流しながら届かぬ手を延べる。
そして、幸せな未来を確信したとき、安堵の吐息となって消滅するような気がする。
そんな感慨を持った一冊だった。
まあ、私の場合は、見方を変えれば「余計なお世話のおばば守護霊」みたいなものになるだろうけど・・・・。
何しろ、この小説の中で、イチゴつみをしてジャムを作る描写に、
『バケツ3杯分のイチゴを綺麗にごみを取って洗って、同じ3杯分の量が残るなんて・・・
そんなに歩留まりが良いはずが無い! ホントに苺を摘んでジャム作ったこと有るのか?』
などと、ツマラン事に突っ込みを入れたくなる私だからして・・
8月21日追記
読書感想文 西の魔女が死んだ・・と語句検索で来ている君達~。
参考にならなくってごめんね~。
おばさん応援してるから(何の役にもたたんケド)頑張ってね~!
#
by chatadon-06
| 2007-07-24 12:30
| 読書感想文
|
Comments(2)
2007年 07月 17日
更新・遅れます
#
by chatadon-06
| 2007-07-17 23:05
| 挨拶・連絡
|
Comments(8)
2007年 07月 13日
「青い鳥」なメニュー
「ゴーヤチャンプルーと鰻蒲焼って、どうよ?」とメールを添えて。
「一昨日に比べると、とてもまともな普通のメニューだと思う。」
・・・と返事が来た。
そうだった・・・
一昨日送った夕食メールの添付画像はこれ
ナポリタンに目刺し。
メーテルリンクの「青い鳥」は自宅にいたが、
おかしなものばかり見かける世の中だといいつつ振り返ってみれば、もっとも変なのはうちのメニューかもしれない。
#
by chatadon-06
| 2007-07-13 23:09
| 何か変・・・?
|
Comments(2)
2007年 07月 12日
なんちゃって階段
何も気づかず出てきて空中を歩行し、気付いた瞬間に落ちる。
コレがお約束だ。
実はコレ道路の拡幅工事で削られた部分。
まるで「だまし絵」だ。
ボウリングのピンを乗せた軽トラック。
なにがおかしいのかワカラナイのだが、とにかく可笑しい。
・・・でも、その光景を想像すると、さらに楽しい。
何気なく通っているだけなのに、こんな変なものだらけの世の中だなんて・・・。
ああ、神様、仏様・・・・
♪ありがとうございますっっ♪
**************************************************
その他
☆カリビアンかまぼこ☆
賞品は
有名ブランドの。。。。
素敵なハンカチ??
・・・漠然としすぎです。
#
by chatadon-06
| 2007-07-12 08:30
| 何か変・・・?
|
Comments(6)